監督 ジェイ ローチ
       脚本 ジョン マクナマラ
              出演 ブライアン クラストン
            ダイアン レイン


★あらすじ★ 
アメリカでは1939年にアメリカ共産党はソ連を支持し、1943年には共産党員支持者が増えた。

バスタブで胸毛ボウボウの眼鏡の男が、浴槽に板を置いて、その上にタイプライターを置いて打っていた。この男がトランボ(ブライアン・クラストン)であり映画の脚本家だ。翌日、スタジオで、撮影が行なわれておりギャングのボスが裏切った子分に銃を向けているシーンなのだが、小道具の銃が安物のためシリンダーがはずれて弾が落ちてしまいカットがかかった。
ボスを演じるエドワード・G・ロビンソンはトランボに質問した。
「この男は何の為に戦っているんだ?」
するとトランボは答えた。
「世界中の平和と正義のためさ。」 
「ここはアメリカだぞ?もっと他に理由はないのか?」 
「お金を稼いで女を抱くためさ。」 「そりゃいい、分かりやすい。」
この時代の脚本は現場で修正されることが当たり前だった。

トランボはハリウッドで売れっ子の脚本家であったが、共産党に入党しており
時代の流れが、「アカ狩り」(共産主義排除)の為トランボ達、共産主義活動をハリウッドで続ける10人はハリウッド10(テン)と呼ばれていた。
民主党では、共産主義者たちを排斥しようとする集会がHUAC(下院非米活動委員会)主催で行なわれていた。
その議会上で、演説するのは、あの西部劇で有名なジョン・ウェインだった。
彼は1944年に結成された「アメリカの理想を守るための映画同盟」(MPA)に所属していた。

先ほどステージで演説をしていたジョン・ウェインが話しかけてきたのでトランボは逆に聞き返した。「私は戦争中、沖縄で従軍記者をしていたが、あなたはどこで戦っていたか?」(ジョン・ウェインは従軍していなかった。)わざわざ眼鏡をはずして、「お気に障ったなら、殴るかね?」と煽った。

トランボを無視したヘッダーが、それを見ていた。この帽子の女ヘッダー・ホッパー(ヘレン・ミレン)はコラムニストで3500万人の読者を持つ。
翌日、ヘッダーはハリウッドの最高権力者ルイス・B・メイヤーを訪ね、
トランボを解雇しろと要求した。
メイヤーは「3年契約を結んだばかりだ」と言って断ろうとしたが、「エリエゼル・メイル」の名前を出されて、凍りついた。それはメイヤーのユダヤ名だった。さらにヘッダーはこの事務室でメイヤーに犯されかかった事も持ち出した。
結局メイヤーは受けざるを得なかった。
 
トランボは、ハリウッド10のメンバーを招待しBBQパーティーをしていた。すると黒い車から、黒ずくめの帽子とコートの男が降りてきてトランボに召喚状を渡した。議会からワシントンD.C.での公聴会に召喚されたのだ。

そして公聴会でトランボは裁判官の「あなたは共産主義者ですか、それとも、かつてそうでしたか?」という質問に対し、「はい」か「いいえ」で答えるべき時に「「はい」か「いいえ」で答えるのは、バカか奴隷だけだ。」と答えた。 結局、法廷侮辱罪で1950年6月に2年の実刑を喰らうことになった。そんな中、トランボは映画の脚本を仕上げていた。それをイアン・マクラレン・ハンターに託したがイアンはタイトルが気に入らないようだった。トランボが書いたタイトルは「王女と道化師」だ。
トランボは「だったら何がいいんだ?」  
イアンは、表紙にタイトルを書いた。
それは『ローマの休日』だった。
脚本はパナマウント映画に売られた。
トランボは5:5でいいと言ったが、
イアンは1割でいいと引かなかった。
仕方なく、トランボは7:3で折半することにした。
当面の家族の生活資金になった。
しかしトランボ含むハリウッド10は全員刑務所行きとなった。
飛行場で、トランボは家族や無罪を訴える人々に見送られ連行された。
刑務所に着くと所持品を一切奪われた。勿論眼鏡もだ。トランボの服役中の仕事は倉庫の荷物運びだ。それを確認するのは黒人だった。トランボは、「荷物整理の書類作成を手伝おう」とタイピングを申し出る。その黒人も共産主義者は嫌いなようだが、殺人で20年の服役であるため、模範囚として減刑されるよう、トランボも手伝うことになった。唯一の慰めは家族に手紙を書くことだけだった。
ラジオではエドワード・G・ロビンソンが、公聴会に召喚され、ハリウッド10の10人を密告していた。倉庫の同僚の黒人も「こういうチクリ野郎は、ムショじゃ死体になる」とか言っている。


1951年4月、トランボは出所した。入獄時に、彼が預けていた金のシガレットケースやライターなどの貴重品は封筒に梱包され投げ渡された。でも、妻クレオが入口で車で迎えに来ていて、抱きついた時、やっと彼の刑期は終えたのだった。家に帰ると、10か月ぶりに会う子供たちは大きくなっていた。しかし、裁判費用と保釈金等で家は売り家になって家族一家でメキシコに引っ越した。
「ギャングスター」で脚本を提供したフランク・キングの元でトランボは脚本を書くことになった。キングは金と女が大好きで、トランボが共産主義であろうと気にしない人物だった。その代わりB級映画なので脚本料は安かった。
最初の仕事は1200ドルだった。
3日で脚本を仕上げキングに気に入られて、他の脚本の手直しも引き受けることになった。家に5本電話を引き、5人の偽名で台本書きを始めた。子どもたちは電話番や脚本の配達、あて名書きや清書のためにタイピングまで仕込まれた。
子どもたちと1つ約束をした。「電話に出る時はトランボと言わない事」。
1954年3月、「ローマの休日」でアカデミー賞の原案賞をイアン・マクラレン・ハンターが受賞した。トランボがもらうことはできなったが、家族でささやかなお祝いをした。後日、イアンはオスカー像を持ってきたが、両者とも「君の物だ。」「でも君の名前が書いてある」と譲らなかった。結局、イアンが持って帰った。5人分の脚本を書くことがトランボ1人では破綻してきたので、ハリウッド10として干されている5人の脚本家に仕事を振った。キングの条件は、書き直しはトランボがすることだった。
アーレンの書いた脚本はダメだった。「エイリアンと農婦」の脚本で、エイリアンに共産主義を語らせたのだった。
流石のキングも没を出した。こんなものを映画にしては、キングまでブラックリスト入りになってしまう。キングが求めているのは、エイリアンと農婦が納屋でSEXするシーンだけだ。B級映画に思想はいらない。トランボが書き直すことになったがアーレンは噛みついた。仕方なく、アーレンの意見を聞くことした。アーレンはトランボに言った。
「作家として書きたいものを書かずしてどうする? 金のためにつまらん物を書くだけか? トランボ、お前は書きたいものはないのか?」トランボには、忘れられない光景があった。娘ニコラと一緒に闘牛を見に言った時、黒牛が倒された時、観衆の歓声とは反対に泣いていた。トランボ父娘だけでなく、前に座っていた少年も泣いていた。何故なのか? 
そのことが頭から離れないでいた。
アーレンは言った。「だったら書け。書けば、少年の気持ちが分かる」 
言われるままにトランボは脚本を書いた。そして、トランボはキングに脚本を渡した。「 申し訳ないが傑作だ」その脚本は「黒い牡牛」という映画になり、ロバート・リッチ名義で1957年3月アカデミー賞を受賞したのだった。しかし、今度は代理人がいなかった為、映画脚本協会の代表が受け取った。
この頃から、マスコミがトランボが書いたのではないか?と気づき始めた。でも、インタビューでトランボは、「いい脚本は全部私が書き、悪い脚本は敵が書いた。私が書いたと書くことで『黒い牡牛』の売り上げが上がるなら書いてくれ」

カーク・ダクラスもまた、共産主義者として迫害された俳優だった。しかしトランボに「脚本を書いてくれ」と依頼した。それは、「ローマの休日」や「黒い牡牛」の脚本をトランボが書いたと知っていたからだ。スタンリー・キューブリックが監督なので、彼が納得する脚本を書ける人物がいないためトランボに依頼した。何とか、クリスマス休暇までに書き終えたのだが、次の依頼が舞い込んできた。それは監督のオットー・プレミンジャーだった。彼は、カーク・ダクラスの依頼した「スパルタクス」の脚本を見て飛んできたのだった。

トランボへ一冊の本を渡した。それは「エクソダス~栄光への脱出」だった。「本としてはまとまりがないのだが」 トランボが言った。 「つまり、内容的には素晴らしいと、1月2日からカークの脚本の手直しがあるのだが」 

プレミンジャーは言った。

それまでは時間があるわけだ」

トランボのクリスマスはなくなった。

そんな中、ヘッダが動いていた。フランク・キングの元に、HUAC(下院非米活動委員会)の代表が、トランボを解雇しろと脅かしに来たが、逆にバットで頭を割ると事務所のガラスを割りまくって脅かした。カーク・ダクラスの元にもヘッダが来て、「素行が悪くなった」と言うと「君が知らなかっただけだ」と嘘ぶきます。その足で、カークはトランボの元にやってきた。カークは、トランボにヘッダが動いてることの忠告と協力を申し出た。それを聞いていたニコラは隣の男も、カークやプレミンジャー監督が来てることを知っているのに、HUACやFBIに伝わっていないということは。「彼らにできることは、もうないのよ。『黒い牡牛』も『ローマの休日』のオスカーもパパの物よ」その晩、トランボは、ロバート・リッチとしてインタビューを受けた。つまり、自分がロバート・リッチと公表したのだった。

次の朝、トランボの記事が全米を震撼させた。カーク・ダグラスの『スパルタカス』の映画撮影は終了した。試写会で、トランボ脚本を取り下げろという脅迫があったが、「だったら、僕の出演シーンを全部取りなおせ」と逆に脅かした。

プレミンジャー監督も「栄光への脱出」の脚本はトランボと公表した。

「スパルタカス」の上映に当たって、賛成派と反対派がデモ隊を展開させる光景もあった。しかし、ケネディ大統領が見たことにより、赤狩りの動きは変わり始めた。世の中の流れが変わりつつあった。

アカデミー賞候補に「スパルタカス」が選ばれ、舞台袖でトランボは待っていたが司会が「ダルトン・トランボではありません。」と言ったら、観客から一笑いが起き帰ろうとしますが、何故かトランボの名前が呼ばれた。「私が、ここに立つ前に、家をなくした人も、家族をなくした人も、命をなくした人もいました。でも、今日はそれを糾弾したいわけじゃないのです。英雄も敗者もいません。いたのは被害者だけ。共に、その痛みを分かち合いましょう。」エドワードも参列していた。白髪だらけの顔に、涙を受かべてます。1975年まで、HUAC(下院非米活動委員会)は活動し、教師や軍人、公務員など、数千人が赤狩りの犠牲になりました。


エンドロールでは、ダルトン・トランボ本人の映像が流れます。この映画でトラ
ンボを演じたブライアン・クランストンより、柔和で優しそうな印象の人物です。若干、恰幅もいいです。それは改めて「黒い牡牛」のアカデミー脚本賞を受賞した時のもので、「この受賞を誰に伝えたいですか」の質問に対し、「娘です」と答えています。「彼女は戦士でした。父親の職業を質問されても、 公表できませんでした。13年間、秘密を守ったのです。だから、このオスカーは彼女のものです。彼女が秘密を守ったからこそ、貰えたものです」と締めくくっています。

★解説★
この映画を観ようと思ったキッカケが
タイトルポスターでした。
タイプライター、ウイスキー、タバコと
メガネをかけた厳つい男性。
何かを訴える様なメッセージ性の強い
そして強い意志を感じさせるポスター。

調べてみると実在した人物を描いた映画でした。
作品としては政治色の強いストーリーでしたが、アカ狩りという世の中の流れ、
もしくは大きな力に脚本家トランボが強い意志と信念で立ち向かう話に感動を覚えた。

トランボは当たり前のことを主張しただけだった。

映画業界を支えるスタッフの待遇及び賃金を上げて貰いたい」

その考えがいつしか共産主義に繋がった。
偽名を使って脚本を書き続けた。
すると世の中の流れが変わる。
色々な事があった。
周りからのトランボへの誹謗中傷。
仲間の裏切り、仲間の死。

しかし最後までトランボは自身を曲げる事はしなかった。
置かれている立場は違えど見習いたい。

この作品は映画史を知る上で大変勉強になる映画でした。
多少脚色はあるがほぼ史実通りと思います。

良かったら是非ご覧下さい。